【なおっぺ史④】「わたし」が迷子の長女子育て期
こんにちは、なおっぺです(・∀・)
前回から結構時間が経ってしまいました💦
以前もブログやった事はあったしインスタも長くやってるし、
文章書く事に不安はあまり無かったんですが
起こった出来事やその時の感情、
それをどう伝えたいのかを考える(文字を紡ぐ)作業ってものすごくエネルギー使うんですね。
言い訳がましくて誠に申し訳ありません:(;゙゚'ω゚'):
つべこべ言うのは金輪際これでおしまいにします(´・ω・)キリッ
はい、というわけで、なかなか進まぬなおっぺ史。
初めての子育てで「自分迷子」に陥った第一子長女子育て期を振り返ってみます。
9年前、長女赤ちゃん時代。
当たり前だけど私も今より若い!(・∀・)
それまでのエピソードはこちら💁♀️
【なおっぺ史①】誕生〜学生時代
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/19/092931
【なおっぺ史②】暗黒のパティシエ時代
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/22/094650
【なおっぺ史③】黄金のカフェ時代
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/24/151358
なおっぺ史③と少し被りますが、
26歳の時に中学、高校の同級生でもあったy氏(笑)と結婚しました。
と言っても学生時代からずっと付き合っていたとか
そんな純愛モノの話ではなくて、
関東に来ている人達の同窓会的な席で偶然再開しまして。
左から2番目がy氏。若さ故の余裕を感じるw
高校の卒業式振りに会うy氏はなんだか芋から大人になっていて←
結婚適齢期に入ってきていたし同郷っていう安心感も手伝って
交際から一年足らずで婚約までいきました。
(y氏の人柄はー!?w)
ドーナツみたいに丸くて優しいダーリン♡
婚約してすぐに娘を授かったので
デキ婚か!?とよく言われましたが一応順序は守ったんですよ。
今時順序もなんも無いですけどね( ̄▽ ̄)
ただ、思ったよりも随分と早く授かったので予定が狂ったというか…
両親は私の意思を尊重して育ててくれたし(体の良い放置プレイw)
修業中辛い事も苦しい事も沢山あったけど、
全ては自分の思うように選んで来たことだったので
マイナスな出来事もプラスに変換する事が可能でした。
が、妊娠が分かった時点で悪阻により好きだった物が食べられなくなったり、
仕事を辞めなくてはいけなくなったり、、
こう言うと大袈裟なようですが
生まれて初めて「自分以外の誰か」
の存在によって自分の人生の舵を取られるような不自由さを感じる事になります。
妊娠・出産・子育ては女性にとって輝かしいライフイベントだし、
実際私にとってもそれはその通りだったけど、
幸せ過ぎて不安というか…
プラスの出来事が意図せずマイナスに転じてしまうような初めての感覚を味わいました。
…こうして当時を振り返ってみると自分何様だよ!!!
と突っ込んでやりたくなりますが(゚ω゚)
全ては自分で望んだ事なんですけど、、
要は覚悟が足りなかったんですね。
そんな覚悟足らずの女が26歳で「母」となりました。
予定日より1ヶ月も早く産まれた娘。
もう死ぬかも!?と思いながら15時間苦しみ抜きながらも
早産で初産にしては「安産」と言われるお産を乗り越え、
なかなか旨味のあるお顔の女の子が我が家に仲間入りする事になりました。
(産まれたての写真上げようかと思ったけど娘の名誉のために辞めておきます ←)
妊娠、出産は勿論、子育ても人生初!
なんなら私は3兄妹の末っ子として生まれ育ったので、
自分よりか弱き者と暮らす事自体そもそも初体験(゚ω゚)
加えて、里帰り出産後関東の家に戻って来てからは実家からの手助けゼロ
地域の友達も居ないのでママ友ゼロ
育休中だったし旦那様は勿論日中仕事行ってるから会話できる大人ほぼゼロ
そんなスリーゼロの苦しい出だしに加えて
追い討ちをかけるような娘の激しい人見知り。
一緒に暮らしているパパでさえダメで、
私がご飯食べている間一瞬抱っこして貰うだけでもギャン泣き。
娘に泣かれるとパニックになる新米パパを横目に味わってご飯を食べられる筈も無く。
文字通り24時間体制の母業。
産後のホルモン様の暴動も相まって、
今まで感じた事のないような感情の波に何度も襲われました。
その度に旦那さんに八つ当たりしたり
どうあやしても泣き止まない娘と一緒にわーわー泣いたり。
娘は可愛い。
可愛いと思う心に嘘偽りは無い。
けど、
少しの時間でいいから一人になりたかった。
いや、正しくは「母」ではない「わたし」の時間が欲しかった。
実際は新米パパが頑張って子守してくれて
美容院行ったり友達と出掛けさせてくれたりもしたけど
結局どこに居ても何をしていても娘の事が心配で、「母」の私から切り替える事が出来ませんでした。
子供を授かって母として居られる事は「幸せな事」として確かに実感もしていたけど、
当時の私は真綿(母の責任というプレッシャー)で首を絞められていくような息苦しさを感じてしまっていたんですね。
今思えば産後鬱一歩手前だったと思います。
ただ、そんな時間も永遠に続く訳ではなく。
娘の成長と共に、又仕事復帰の為に一歳半で保育園に預けた事により暗いトンネルの出口が見えてきました。
人見知りの娘なので預け始めて暫くは、
それはもう天地が轟くほどの泣きっぷり。
「こんなに泣く我が子を預けてまで仕事に行く私は母親失格なんじゃないか」
と自責の念を感じましたが、
「お母さん、◯◯ちゃん(娘)は責任を持って見てますから、心配しないでお仕事行ってきて下さいね。」
と先生が言ってくれた事で、
私の心の中のモヤがすぅーっと晴れていくのを感じました。
いやぁ、今思い出しても涙が出ますね…
それまで一人で背負って来たプレッシャーを
その時、娘が産まれて初めて下ろせました。
こう書くと語弊があるかもしれないので一応補足しておきますが、
新米パパも彼なりに精一杯頑張ってくれていました。
ただ、男女の脳の作りの違い、見方の違いと言いますか。。
子供を産み落とした者とはやはり責任感も違うし
(↑これを母性と一言で片付けらるのは納得できませんが)
その辺の行き違いを、正しく言葉にして伝える事が私には出来なくて。
…まぁ、今も得意ではないけど(ーー;)
結果、伝わらない不満が積もり積もって爆発するのを何度も繰り返してしまいました。
綺麗で可愛いくて堪らなかった妻が(←)
子供の出産と共に変わってしまって旦那様もさぞ困惑の日々を送っていた事であろうと、
今は不憫に思えますね(笑)
あの時はごめ〜んね(←謝る気無し)
そんな保育園生活を2年ほど送り、
その後幼稚園へと転園する事になります。
この幼稚園入園を機に思い出も思い入れもたっぷりの会社も退職しました。
幼稚園での夕涼み会準備の一コマ
幼稚園入園を機に娘の人見知りも落ち着いていき、年長さんの頃には
「人見知りだったなんて信じられない!」
と初めて会った人に言われる程物おじせず誰とでも喋れる子になりました。
そして娘が年中さんの春に待望の第二子となる息子が誕生!
2人とも良い笑顔♡
5年ぶりの赤ちゃんはとにかく可愛くて癒しで♡
娘も手が掛からなくなって来て二人育児を楽しんでいた所、
一歳半検診から暗雲が立ち込めてきます…
予定よりだいぶ長くなってしまったー!!!(・ω・)
ので、長男子育て編は次回へ持ち越しとします。
長女の子育ても大変だったし色んなエピソードがあるけど、
長男の子育ては私の人生観を大きく変える事となります。
↓Instagramもよろしくお願いします🥺↓
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長文読んで頂きありがとうございました(*´-`)
次回更新も是非ご覧下さい♪