【なおっぺ史⑥】息子の障がいから学んだ事part2
ものすっっっっごいお久しぶりです!
なおっぺです( ´∀`)
大分ブログの更新サボっておりましたが
ありがたい事に
「ブログの続き気になる!」
「ブログ楽しみに見てるんですが、続き書かないんですか…?」
という稀有なお声を頂く事もあり…笑
コンスタントに更新したいという
意志はあるものの継続力の無さたるや_| ̄|○
毎日更新!
とかいうインポッシブルな志は
もうドブに捨ててしまって
出来る時に無理なく細々更新していく事とします。
さて、
もう前回の内容とか覚えてないでしょうから
コチラ確認してみるといいかもしれないかもしれませんyo!
↓前回の記事↓
(https://nicottai.hatenablog.com/entry/2021/01/25/105736)
なおっぺ史忘れたから最初からチェケラしたくなった方はこちらからどうぞ↓↓
………………………………………………………
【なおっぺ史①】誕生〜学生時代
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/19/092931
【なおっぺ史②】暗黒のパティシエ時代
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/22/094650
【なおっぺ史③】黄金のカフェ時代
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/24/151358
【なおっぺ史④】「わたし」が迷子の長女子育て期
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/12/07/104135
【なおっぺ史⑤】息子の発達障がいから学んだ事
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2021/01/25/105736
………………………………………………………
息子の発達障害から学んだ事part2
そんなこんなで息子も6歳!
すっかり言葉を話せるようになり
意思疎通もある程度出来るようにはなったけど
YouTubeの影響モロウケで
「ばば◯」だの「ゴミ◯シ」だの
まぁ口が悪くなりましたよ…
特に「ばば◯」は
息を吐くように言うので
丁度その辺のお年頃のご婦人とすれ違う時は
毎度心臓バクバクです_:(´ཀ`」 ∠):
そんな自閉症の息子と暮らしていく中で
ものすごく大切な事に気付かせて貰っています。
沢山あるんですが、一番は
「起きている物事には必ず原因や理由がある」
という事。
まだ息子が幼稚園に入る前、
親子で市の運営している療育施設に通っていた時の事。
そこには発達に関して何かしらの
心配事を抱える子供達が通っていました。
こだわりが強くほぼ白いごはんしか食べない子
お友達に手が出ちゃう子
1人の世界に入り込んで周りが見えない子、、
それはもう個性のテーマパーク!(*゚∀゚*)
そんな個性の塊を抱えた母達は
とにかく毎日対応に追われて疲弊してた訳ですが
療育の先生方の献身的なサポートと
子供達それぞれの「個性」に対して
学ぶ機会を沢山設けて頂きました。
先程の子達で言うと、
「こだわりが強くほぼ白いごはんしか食べない子」
⇨感覚過敏があってご飯以外の食材の
舌触りや味に耐え難い苦痛を感じる。
また、コミュニケーションの苦手さもある事から
周囲がその食べ物の美味しさを説明しても
なかなか伝わらない。
「お友達に手が出ちゃう子」
⇨言葉で気持ちを伝えられず、自分の欲求を通す為に咄嗟に手が出てしまう。
「1人の世界に入り込んで周りが見えない子」
⇨想像力が豊かで、且つ集中力があり過ぎてそれ以外の事を認識出来ない。
…と、
十人十色の理由や原因がそれぞれにありました。
「火の無いところに煙は立たぬ」
「撒かぬ種は生えぬ」
「煙あれば火あり」
それぞれちょっとずつニュアンスは違うけど
こういう諺が昔からあるように
今起きている物事の元を辿れば
必ず何かしらの原因があるんだという事は
先人達も気付いていた真理なのだと思います。
この事に気付いた時、
あれもこれも出来ない息子の行動ひとつひとつが
コレはこういう原因がある
アレはこれが理由だったのか!
と繋がっていって
パチンパチンとピースが埋まっていく感覚でした。
これは障害のある子だけでなく
普段の生活の中でも当てはまる事が沢山あります。
なんだか上手くいかないアレコレも
なんだかモヤモヤする人間関係も
必ず元となる原因がある。
それを理解してからは
「これは何が原因なんだろう」
と一旦冷静に考えられるので
起きている出来事に感情を持っていかれる事が少なくなりました。
そしてその原因の殆どが自分の考え方にあるんですよね。
私の場合は、ですが(^_^)
まぁ、その「原因」がハッキリ分かれば苦労しないんですけどね…笑
でもその起きている出来事や行動には
必ず理由や原因があると理解しているだけで
随分心穏やかに過ごせています。
さて、
この記事はお子さんの発達障がいで悩んでいる
他の親御さんの為になればなんて崇高な気持ちで書いたわけではないので
為になる情報では無かったかと思います。
ここではあくまでも「我が家のケース」としてお伝えしております。
「発達障がい」
ってその人それぞれに特徴があって
とても一括りには出来ないと思っていて、
ご家族の状況や環境で全然違ってくると思うので。
それでも
「こんな考え方してるママさんがいるんだな」
と思って頂ければ幸いです。
息子の事はもっと色々書きたい事があるんですが、
今回はこの辺で〆ます!
また気が向いた時に更新しますので
是非チェックしてみて下さいませ♡
最後までお読み頂きありがとうございました♪
【なおっぺ史⑤】息子の障がいから学んだ事
お久しぶりです、なおっぺです(・∀・)
昨年末はXmasケーキの販売をしてみたり
年が明けてからはカフェ営業にチャレンジしてみたり、
なかなかアクティブに動いてはいたのですが
ブログからすっかり遠ざかっていました(・_・;
遠ざかるも何もまだ大して記事も上げてないのに!笑
今年は週一ブログ投稿を目標にします✌︎('ω'✌︎ )
さて、では。
止まっていたなおっぺ史の続きを書きたいと思います(・ω・)
【なおっぺ史①】誕生〜学生時代
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/19/092931
【なおっぺ史②】暗黒のパティシエ時代
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/22/094650
【なおっぺ史③】黄金のカフェ時代
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/24/151358
【なおっぺ史④】「わたし」が迷子の長女子育て期
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/12/07/104135
七五三のお祝いケーキに大興奮♪
現在5歳の我が家の第二子となる長男ですが、
「自閉スペクトラム症」という発達障がいの診断を受けています。
「自閉症」って聞いた事ある人もいると思いますが、
言葉のイメージとしては何となく内向的な人という印象でしょうか。
私もそんなイメージだったんですが、
息子が診断を受けてから「自閉症」と一括りには出来ない程人によって色んな特徴がある事を知りました。
自閉症の主な特徴としては以下の2つです。
………………………………………………………
自閉スペクトラム症とは?
・人に対する関心が弱く、他人との関わり方やコミュニケーションの取り方に独特のスタイルがみられる。
・行動、興味、活動等にこだわりがあり、臨機応変に対応する事が難しい。
………………………………………………………
※ちなみに自閉スペクトラム症と自閉症はほぼ同じ意味ですが、説明すると長くなるので気になる方はこちらの日本小児神経学会さんの記事を参考までにご覧下さい💁♀️
https://www.childneuro.jp/modules/general/index.php?content_id=96
うちの息子の場合もこの2つの特徴ははっきりと出ていて、更に
・運動能力の低さ
・手先の不器用さ
・視野の狭さ
こちらの特徴も目立っていました。
当時お気に入りの車のおもちゃと。
どこに行くにもずっと一緒でした(・ω・)
生まれてからずっと朗らかでニコニコしていて、
あやすとよく笑う癒しのオーラがハンパない子で(←親バカw)
2人目育児の余裕と、周りから言われる「男の子はゆっくりだからね〜」という言葉に安心しきっていたので、
一歳半健診で指摘されるまで、まさかこの子が発達障がいだなんて全く思いもせず…
知らない人にもニコニコの笑顔
現在までの様子を時系列にするとこんな感じです。
1歳半健診:発達の遅れを指摘される
(発語無し、指差し無し、後追い無し、遊具で全く遊べない、表情は豊か)
↓
2歳半:療育を開始
(一歳半と同様)
↓
3歳:自閉症スペクトラム症との診断
(一語のみの発語が出る(いちごを「ご」と言うなど)、運動機能の向上が見られる、好き嫌いが出てくる)
↓
4歳:幼稚園入園
(単語が出る、その後2語分、3語分も出て日々言葉が増えていく、会話としては成立しづらい、遊具で上手に遊べるように)
5歳となり、現在は日々言葉も増えてきて(良い言葉は勿論悪い言葉も…泣)
アスレチックにも果敢に挑戦出来るほど身体能力も上がっていますが、
やはり会話のキャッチボールは難しく、
コミュニケーションの苦手さはそのままです。
赤ちゃん時代いつも朗らかでニコニコしていました♡
自閉症の息子と暮らしてきて学んだ事は沢山ありますが、まずはじめに声を大にして言いたい事は
とにかく可愛い!!
という事です(*´-`)
障がい児の親なんて、きっと大変でしょう、とか私には真似出来ないというような事をたまに言われます。
でも、正直私は健常児の娘の育児の方が困難さを感じていました。
それは私の「こども」という生き物に対しての無知さと一人で育児に立ち向かっていた孤独感から来たものでした。
息子の時はコミュニケーションが取れない事から、どうにも気持ちを汲みとってあげられない事が申し訳なくて泣き暮らした時も確かにありました。
けれど療育の先生達や同じ悩みを抱えるお母さん達と気持ちを共有したり
こどもの行動の原因を知る事によって問題行動への対処の仕方も分かり
今では自分でも驚くほど穏やかに過ごせています。
そして何より、発達がゆっくりだからか?
この障がいの性質なのか天性のものなのかは不明ですが
とても穏やかでピュアな心が本当に愛らしくて。
心が洗われるような、癒されるような。
マイナスイオンでも発生させてるのかな?
とパパと話しては納得する日々です。笑
※性質や環境の違いにより発達障がいの悩みも千差万別です。これはあくまでも我が家のケースとして書き留めてあります。
こだわりの一種として紐状の物が大好きで
紐っぽい物があると延々と遊びます
そして、もう一つ学んだことがあるんですが…
長くなったので次回にします✌︎('ω'✌︎ )
↓Instagramもよろしくお願いします🥺↓
https://instagram.com/nicottai?igshid=aawsm6c5l6q1
長文読んで頂きありがとうございました(*´-`)
次回更新も是非ご覧下さい♪
【なおっぺ史④】「わたし」が迷子の長女子育て期
こんにちは、なおっぺです(・∀・)
前回から結構時間が経ってしまいました💦
以前もブログやった事はあったしインスタも長くやってるし、
文章書く事に不安はあまり無かったんですが
起こった出来事やその時の感情、
それをどう伝えたいのかを考える(文字を紡ぐ)作業ってものすごくエネルギー使うんですね。
言い訳がましくて誠に申し訳ありません:(;゙゚'ω゚'):
つべこべ言うのは金輪際これでおしまいにします(´・ω・)キリッ
はい、というわけで、なかなか進まぬなおっぺ史。
初めての子育てで「自分迷子」に陥った第一子長女子育て期を振り返ってみます。
9年前、長女赤ちゃん時代。
当たり前だけど私も今より若い!(・∀・)
それまでのエピソードはこちら💁♀️
【なおっぺ史①】誕生〜学生時代
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/19/092931
【なおっぺ史②】暗黒のパティシエ時代
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/22/094650
【なおっぺ史③】黄金のカフェ時代
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/24/151358
なおっぺ史③と少し被りますが、
26歳の時に中学、高校の同級生でもあったy氏(笑)と結婚しました。
と言っても学生時代からずっと付き合っていたとか
そんな純愛モノの話ではなくて、
関東に来ている人達の同窓会的な席で偶然再開しまして。
左から2番目がy氏。若さ故の余裕を感じるw
高校の卒業式振りに会うy氏はなんだか芋から大人になっていて←
結婚適齢期に入ってきていたし同郷っていう安心感も手伝って
交際から一年足らずで婚約までいきました。
(y氏の人柄はー!?w)
ドーナツみたいに丸くて優しいダーリン♡
婚約してすぐに娘を授かったので
デキ婚か!?とよく言われましたが一応順序は守ったんですよ。
今時順序もなんも無いですけどね( ̄▽ ̄)
ただ、思ったよりも随分と早く授かったので予定が狂ったというか…
両親は私の意思を尊重して育ててくれたし(体の良い放置プレイw)
修業中辛い事も苦しい事も沢山あったけど、
全ては自分の思うように選んで来たことだったので
マイナスな出来事もプラスに変換する事が可能でした。
が、妊娠が分かった時点で悪阻により好きだった物が食べられなくなったり、
仕事を辞めなくてはいけなくなったり、、
こう言うと大袈裟なようですが
生まれて初めて「自分以外の誰か」
の存在によって自分の人生の舵を取られるような不自由さを感じる事になります。
妊娠・出産・子育ては女性にとって輝かしいライフイベントだし、
実際私にとってもそれはその通りだったけど、
幸せ過ぎて不安というか…
プラスの出来事が意図せずマイナスに転じてしまうような初めての感覚を味わいました。
…こうして当時を振り返ってみると自分何様だよ!!!
と突っ込んでやりたくなりますが(゚ω゚)
全ては自分で望んだ事なんですけど、、
要は覚悟が足りなかったんですね。
そんな覚悟足らずの女が26歳で「母」となりました。
予定日より1ヶ月も早く産まれた娘。
もう死ぬかも!?と思いながら15時間苦しみ抜きながらも
早産で初産にしては「安産」と言われるお産を乗り越え、
なかなか旨味のあるお顔の女の子が我が家に仲間入りする事になりました。
(産まれたての写真上げようかと思ったけど娘の名誉のために辞めておきます ←)
妊娠、出産は勿論、子育ても人生初!
なんなら私は3兄妹の末っ子として生まれ育ったので、
自分よりか弱き者と暮らす事自体そもそも初体験(゚ω゚)
加えて、里帰り出産後関東の家に戻って来てからは実家からの手助けゼロ
地域の友達も居ないのでママ友ゼロ
育休中だったし旦那様は勿論日中仕事行ってるから会話できる大人ほぼゼロ
そんなスリーゼロの苦しい出だしに加えて
追い討ちをかけるような娘の激しい人見知り。
一緒に暮らしているパパでさえダメで、
私がご飯食べている間一瞬抱っこして貰うだけでもギャン泣き。
娘に泣かれるとパニックになる新米パパを横目に味わってご飯を食べられる筈も無く。
文字通り24時間体制の母業。
産後のホルモン様の暴動も相まって、
今まで感じた事のないような感情の波に何度も襲われました。
その度に旦那さんに八つ当たりしたり
どうあやしても泣き止まない娘と一緒にわーわー泣いたり。
娘は可愛い。
可愛いと思う心に嘘偽りは無い。
けど、
少しの時間でいいから一人になりたかった。
いや、正しくは「母」ではない「わたし」の時間が欲しかった。
実際は新米パパが頑張って子守してくれて
美容院行ったり友達と出掛けさせてくれたりもしたけど
結局どこに居ても何をしていても娘の事が心配で、「母」の私から切り替える事が出来ませんでした。
子供を授かって母として居られる事は「幸せな事」として確かに実感もしていたけど、
当時の私は真綿(母の責任というプレッシャー)で首を絞められていくような息苦しさを感じてしまっていたんですね。
今思えば産後鬱一歩手前だったと思います。
ただ、そんな時間も永遠に続く訳ではなく。
娘の成長と共に、又仕事復帰の為に一歳半で保育園に預けた事により暗いトンネルの出口が見えてきました。
人見知りの娘なので預け始めて暫くは、
それはもう天地が轟くほどの泣きっぷり。
「こんなに泣く我が子を預けてまで仕事に行く私は母親失格なんじゃないか」
と自責の念を感じましたが、
「お母さん、◯◯ちゃん(娘)は責任を持って見てますから、心配しないでお仕事行ってきて下さいね。」
と先生が言ってくれた事で、
私の心の中のモヤがすぅーっと晴れていくのを感じました。
いやぁ、今思い出しても涙が出ますね…
それまで一人で背負って来たプレッシャーを
その時、娘が産まれて初めて下ろせました。
こう書くと語弊があるかもしれないので一応補足しておきますが、
新米パパも彼なりに精一杯頑張ってくれていました。
ただ、男女の脳の作りの違い、見方の違いと言いますか。。
子供を産み落とした者とはやはり責任感も違うし
(↑これを母性と一言で片付けらるのは納得できませんが)
その辺の行き違いを、正しく言葉にして伝える事が私には出来なくて。
…まぁ、今も得意ではないけど(ーー;)
結果、伝わらない不満が積もり積もって爆発するのを何度も繰り返してしまいました。
綺麗で可愛いくて堪らなかった妻が(←)
子供の出産と共に変わってしまって旦那様もさぞ困惑の日々を送っていた事であろうと、
今は不憫に思えますね(笑)
あの時はごめ〜んね(←謝る気無し)
そんな保育園生活を2年ほど送り、
その後幼稚園へと転園する事になります。
この幼稚園入園を機に思い出も思い入れもたっぷりの会社も退職しました。
幼稚園での夕涼み会準備の一コマ
幼稚園入園を機に娘の人見知りも落ち着いていき、年長さんの頃には
「人見知りだったなんて信じられない!」
と初めて会った人に言われる程物おじせず誰とでも喋れる子になりました。
そして娘が年中さんの春に待望の第二子となる息子が誕生!
2人とも良い笑顔♡
5年ぶりの赤ちゃんはとにかく可愛くて癒しで♡
娘も手が掛からなくなって来て二人育児を楽しんでいた所、
一歳半検診から暗雲が立ち込めてきます…
予定よりだいぶ長くなってしまったー!!!(・ω・)
ので、長男子育て編は次回へ持ち越しとします。
長女の子育ても大変だったし色んなエピソードがあるけど、
長男の子育ては私の人生観を大きく変える事となります。
↓Instagramもよろしくお願いします🥺↓
https://instagram.com/nicottai?igshid=aawsm6c5l6q1
長文読んで頂きありがとうございました(*´-`)
次回更新も是非ご覧下さい♪
【なおっぺ史③】黄金のカフェ時代
こんにちは、なおっぺです(・∀・)
引き続き私のプロフィールをご紹介していきたいと思います。
↓誕生〜学生時代↓
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/19/092931
↓パティシエ時代↓
https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/22/094650
多分22〜3歳の頃。顔がキモチワルイw
パティシエとしての経験を積んだ後、
転職先としてカフェ業界を選んだものの
次の転職先を決めずに辞めたので転職活動中はフリーターのような事をしていました。
というか完全にフリーターですね。
朝6時〜9時まではコンビニ勤務。
その後10時から17時まで辞めたはずのパティスリーの販売員としてアルバイトしてました。笑
バイトするなら辞めるなよっ!
とツッコミの声が聞こえてきそうですが、
正社員として働きながら転職活動というのは勤務時間も長かったし自由にお休みが取れる環境でも無かったので一度辞めるしかなかったんですよね(´・ω・)
そんなフリーター生活を数ヶ月送ったある日、
「とらば〜ゆ」という女性専用の求人誌(知ってる人は同年代ですね♡)に目を引く求人が載っていました。
それまでも他のカフェの求人は何度も見ていて、
特別他の求人と変わった所も無いし知っているカフェでもなかったけどなんだかすごく目に止まって。
ビビッと来るというか…
後光が差すような。
安い言葉のようですが、運命を感じました。
すぐにインターネットで調べて思った通り良さそうな会社だったので即応募。
面接は社長がして下さって、今でもその時の場の空気と話した内容を覚えています。
後日採用の連絡が来て、
私のカフェ業界での新生活がスタートします。
クリスマス商戦前の朝礼風景
こちらの職場では21才から上の子が幼稚園に入る29才まで
8年間お世話になりました。
ざっと以下のような流れです。
店舗スタッフ
↓
店長
↓
本社勤務(企画・広報・人事)
↓
結婚、妊娠、産休
↓
本社時短勤務(総務)
こう書くと順風満帆にように見えますが
この間病気したり変な詐欺?に遭いそうになったり色々ありました(´Д` )
その辺の話はまた別記事にてまとめたいと思います。
人事として内定者研修での一コマ。
私のジャケット下の服、胸元下がり過ぎて裸同然で草(゚∀゚)
ここでの出来事で言える事は、
とにかく「人」に恵まれたという事です。
最初に配属された店舗の個性溢れるアルバイトの子達。
店長時代、やる気ばかりで力不足の私を支えてくれたみんな。
突然行くことになった本社で暖かく迎えてくれた本社スタッフのみなさん。
求人の事何も知らずにいた私に1から教えてくれた広告代理店の営業マンさん。
そして、そんな私をずっと見守ってくれていた尊敬する上司と社長。
出会った一人一人、あったかくて愛しくて。
情熱があって真っ直ぐで。
太陽のようにわたしを「私」に育ててくれました。
また、店づくりへの想いやお客さまに対する真摯な姿勢など
本当に沢山の事を学びました。
私は元々好きな事にしかパワーが出せないタイプなんですが
ここでは私の「好き!」のパワーを最大限高めてくれた場所だったと思います。
大好きだった本社の屋上から見える東京タワー
8年間の間、ここでは書き切れないほどのエピソードがあるので
それもまたいつか別記事でご紹介したいと思います(╹◡╹)
さて、この後は大好きな会社を退職して専業主婦になります。
次回は専業主婦になってから子育てどっぶりの日々をご紹介しますね♪
Instagramでは作ったお菓子をアップしています♪
💁♀️https://instagram.com/nicottai?igshid=196ark8xvp5ix
最後までご覧頂きありがとうございました(*´꒳`*)
【なおっぺ史②】暗黒のパティシエ時代
こんにちは、なおっぺです(・∀・)
前回に引き続き私のプロフィールをご紹介していきます。
今回は念願のパティシエとして働き始めたものの夢と現実の狭間で葛藤する日々を送った19〜21歳の頃のお話をさせて頂きます♪
なおっぺ誕生〜専門学校までのエピソードはこちら↓↓↓💁♀️https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/19/092931
※帰省して昔の写真GETして内容を地味にアップデートしたので見てね(・∀・)
さて、念願のパティシエとなり都内のパティスリーで働き始めてキラキラな毎日を送るはず♡
でしたが、実際は、、
①超体力勝負
重い材料や道具を運んだり、生地を混ぜたり捏ねたり、1日15〜6時間の長時間労働、週一の休みは材料や道具の買い出し等で潰れる時も。
②生活がギリギリ出来ない程の薄給
社会保険等は無く、給料は額面で月11万円。
各種税金、家賃、光熱費を支払うと手元に残るのは2〜3万円。
朝は前日の残ったケーキ、昼は納豆ご飯と39円のコロッケ、夜は小麦粉とキャベツだけのお好み焼きを食べる日々。
③壮絶なパワハラ
今思い返すとパワハラと言うよりもはや傷害事件レベルの出来事の数々。
詳しく書くのは未だに気が引けるくらいバイオレンスなので割愛。
のなかなかに大変な職場でした( ˙-˙ )
でも当時の製菓業界的には個人店は大体こんな感じだったのかな。
③以外は、ね。。
今はブラック企業として片付けられるのでしょうが、
当時はライフワークバランスなんて言葉も聞いたこと無かったし
「24時間はったっらーっけまっすっか♪」の栄養ドリンクのCMに象徴されるように、とにかくがむしゃらに働くのが正義な時代だったような記憶です。
自分で選んだ道だから①、②の件については全く後悔はしていないし、
むしろ望んだ結果だったけど
③は本当ぉぉ〜に、辛かったですねー。
勿論私の社会人としての常識の無さや天性のおっちょこちょいな性格が先輩方の怒りを買う一因になったと思いますが、なんせ20歳そこそこの女の子だったもんですから、ダメージは深かったです。
今思い出しても胸がギュッとなる当時のパティスリーの厨房
もう、本当に、、辛くて。
それでも一度逃げたらきっと私はこの後の人生ずっと嫌な事から逃げて暮らすようになるんだろうなと思って歯を食いしばりながら働いていましたが、
ある日、本当に限界が来て。
もう無理だ。
と、ぷつっと糸が切れたのが分かりました。
でもただ辞めるのも悔しいのでありったけの生地仕込んでから辞めてやる!
と思って、みんなと一度帰った後1人でお店に戻ってきて夜通し黙々とありったけの生地を仕込んで、
先輩が来るちょっと前に自分の道具をまとめて店を出ようとした所を、
何故かその日に限って早く出勤して来た先輩に見つかるという間の悪さw
結果引き止められて辞める事を辞めました( ̄▽ ̄)
大っっっ嫌いな先輩でしたが(笑)
今思えば、あの時夜逃げ同然で辞めようとしていた私を引き止めてくれてありがとうと言いたいです。
あのまま辞めていたらきっとずっと後悔しただろうし
どんな場所でも図太く生きられる今日の私が作られたのは、
間違いなくここでの経験があったから。
人生無駄な事なんて無いと思うし、
どんな経験も糧にしてやるって思えた場所でした。
そんなこんなで何とか3年間働いていましたが、
実務的にはTHE 下積み!
という感じでしたね。
雑用全般こなして、生地の仕込みなんかは指導される事もありましたが
「技術は見て盗め!」
という感じで道具の準備や計量をしながら先輩の動きを観察する日々でした。
3年目になって出来る事も増えてきて、
ほんの少しだけどパティシエとして自信も芽生えて来た頃、
逃げではなく前向きに次の場所に行こうと思えました。
ここの職場ではずっと焼き菓子の製造ばかりしていてお客様と接する機会が少なくて。
元々お菓子を作る事自体が好きというより
作ったお菓子を食べて喜ぶ人の顔が見たい!
が私の原動力だったので
次はもっとお客様の近くにいられる場所、
もっと総合的にお客様の笑顔を作れる場所で働きたいと思い、
カフェ業界への転職を決断しました。
この転職先の会社の理念、色んな人との出会いで
私の人生がより広がっていく事になります。
パティシエ時代の事、
たった3年の出来事だけどめちゃくちゃ濃い時間だったので
言葉で纏めようと思うととても難しく
書いては消してを繰り返して3日も費やしてしまいました(゚∀゚)
書き切れなかった山ほどあるエピソードはいつはどこかで記事にしたいと思います。
さて次回は!
「カフェ時代の彩り溢れる日々〜この転職先が私の天職!〜」
をお送りします♪
お楽しみに( ^∀^)
【なおっぺ史①】誕生〜学生時代
はじめまして、なおっぺと申します。
パティシエ、カフェ会社勤務を経て
現在は二児の子育て真っ最中の普通のおっちょこちょいな主婦です。
今までInstagramでは(こちら💁♀️https://instagram.com/nicottai?igshid=1v9mpcn13vk44)
お菓子作りのことを中心に日々のことをマイペースに発信していましたが、
これからは「おうちおやつ研究家(仮)」としてこちらのブログで日々のおやつや特別な日のケーキの作り方など、
おうちで作るお菓子作りに役立つ情報を発信していきたいと思っています。
夢は一家に一人パティシエを生み出すこと!
子供の為に日々作る身体に優しいおやつ
記念日に作る本格的なデコレーションケーキ
お友達に作ってあげたくなるお菓子
これらのレシピだけではなく、
道具の選び方やその使い方、
おうちで作るお菓子作りの困り事を無くして
「おいしい!」の笑顔でいっぱいにしたい!!
という野望を胸に抱き活動していく所存でございます٩( 'ω' )و
初回ということで、まずは私の簡単なプロフィールをご紹介します♪
岩手県出身。
祖父、祖母、両親、兄2人の末っ子長女として生まれました。
THE INAKAPPE⭐︎
小学校低学年頃まではかまどでご飯を炊いていたり
(その後リフォームしてかまどは取り壊され炊飯ジャーという文明の利器が登場!)
野菜は基本自給自足の生活で、
…すいません、実際はただの超ど田舎ということですw
一緒に住んでいた祖母が当時としてはハイカラな人で、
お菓子作りが得意で饅頭や大福などの和菓子やマドレーヌやスポンジケーキなどの洋菓子も作っており、
家でのお菓子作りが幼少期から身近なものだった事が私のお菓子作りのルーツになったと思います。
若かりし日の母、二人の兄、祖母と。
溢れ出す昭和感!
中高生の青春時代は面白い友人達に恵まれ
勉学もそこそこにのびのびと、、
それはもう本当にのびのびとw
好きな事だけして毎日enjoyしておりました。
今となっては意味不明だけど、よくこんな変な事して遊んでましたw
友人の影響で一時看護師を目指したりもしましたが
根っからの勉強嫌いが人様の命を預かる医療の世界になど進んで良い訳もなく早々に断念(゚∀゚)
その一方、小さい時から好きだったお菓子作りは細々続けていて
作ったお菓子を友人や後輩に配って歩くと「おいしい!」「お菓子屋さんになったらいいのに!」と言ってもらえる事も増えてすっかりその気に。
ケーキ箱も買えなかったので煎餅の缶にケーキを入れて友達にプレゼントしたりしてましたw
ただ、お菓子作りって結構材料費もかかるし、
当時インターネットでレシピを探すのもなかなか難しく、
月5000円のお小遣い生活の高校生がお菓子作りを楽しむのはなかなかにハードルが高かったです。。
今は情報に困る事はあまりないかと思いますが、
だからこそ正確なお菓子作りのコツや未来のパティシエさん向けの情報発信などもしていきたいなと思っています(╹◡╹)♡
とにかく私の作ったお菓子を食べてくれた人が笑顔になってくれる事が本当に嬉しくて、楽しくて!
そんなお菓子作りに魅了されて製菓の道に進もうと思い、
高校卒業後は地元岩手を離れて東京にある専門学校で1年間洋菓子のことを学びました。
製菓の勉強の楽しさは勿論、初めての一人暮らしの刺激的な事(゚∀゚)
7人の大家族でずっと暮らしていて、家族の干渉を受けずに暮らしてみたいと思ってはいたものの
いざ一人になった時の寂しさったら…
引っ越しの手伝いに来てくれた両親が帰った直後から、しっかりとホームシックになりましたw
今でも唯一連絡を取り合っている友達との授業終わりの一コマ
ただ、それも慣れてくるもので、初めての大都会にワクワクドキドキして過ごしていたらあっという間に一年が過ぎ、
学校の近くにあった個人で経営しているパティスリーへの就職が決まりました。
そこから私の波乱のパティシエ人生の幕開けというわけなんですが、、
長くなったので今回はこの辺で◯
次回、
「これがパティシエの現実!?〜夢と現実の狭間で葛藤する若き日々〜」
※タイトルは予告無く変更の可能性があります(゚∀゚)
をお届けします。
お楽しみに〜( ✌︎'ω')✌︎