【なおっぺ史②】暗黒のパティシエ時代
こんにちは、なおっぺです(・∀・)
前回に引き続き私のプロフィールをご紹介していきます。
今回は念願のパティシエとして働き始めたものの夢と現実の狭間で葛藤する日々を送った19〜21歳の頃のお話をさせて頂きます♪
なおっぺ誕生〜専門学校までのエピソードはこちら↓↓↓💁♀️https://nicottai.hatenablog.com/entry/2020/11/19/092931
※帰省して昔の写真GETして内容を地味にアップデートしたので見てね(・∀・)
さて、念願のパティシエとなり都内のパティスリーで働き始めてキラキラな毎日を送るはず♡
でしたが、実際は、、
①超体力勝負
重い材料や道具を運んだり、生地を混ぜたり捏ねたり、1日15〜6時間の長時間労働、週一の休みは材料や道具の買い出し等で潰れる時も。
②生活がギリギリ出来ない程の薄給
社会保険等は無く、給料は額面で月11万円。
各種税金、家賃、光熱費を支払うと手元に残るのは2〜3万円。
朝は前日の残ったケーキ、昼は納豆ご飯と39円のコロッケ、夜は小麦粉とキャベツだけのお好み焼きを食べる日々。
③壮絶なパワハラ
今思い返すとパワハラと言うよりもはや傷害事件レベルの出来事の数々。
詳しく書くのは未だに気が引けるくらいバイオレンスなので割愛。
のなかなかに大変な職場でした( ˙-˙ )
でも当時の製菓業界的には個人店は大体こんな感じだったのかな。
③以外は、ね。。
今はブラック企業として片付けられるのでしょうが、
当時はライフワークバランスなんて言葉も聞いたこと無かったし
「24時間はったっらーっけまっすっか♪」の栄養ドリンクのCMに象徴されるように、とにかくがむしゃらに働くのが正義な時代だったような記憶です。
自分で選んだ道だから①、②の件については全く後悔はしていないし、
むしろ望んだ結果だったけど
③は本当ぉぉ〜に、辛かったですねー。
勿論私の社会人としての常識の無さや天性のおっちょこちょいな性格が先輩方の怒りを買う一因になったと思いますが、なんせ20歳そこそこの女の子だったもんですから、ダメージは深かったです。
今思い出しても胸がギュッとなる当時のパティスリーの厨房
もう、本当に、、辛くて。
それでも一度逃げたらきっと私はこの後の人生ずっと嫌な事から逃げて暮らすようになるんだろうなと思って歯を食いしばりながら働いていましたが、
ある日、本当に限界が来て。
もう無理だ。
と、ぷつっと糸が切れたのが分かりました。
でもただ辞めるのも悔しいのでありったけの生地仕込んでから辞めてやる!
と思って、みんなと一度帰った後1人でお店に戻ってきて夜通し黙々とありったけの生地を仕込んで、
先輩が来るちょっと前に自分の道具をまとめて店を出ようとした所を、
何故かその日に限って早く出勤して来た先輩に見つかるという間の悪さw
結果引き止められて辞める事を辞めました( ̄▽ ̄)
大っっっ嫌いな先輩でしたが(笑)
今思えば、あの時夜逃げ同然で辞めようとしていた私を引き止めてくれてありがとうと言いたいです。
あのまま辞めていたらきっとずっと後悔しただろうし
どんな場所でも図太く生きられる今日の私が作られたのは、
間違いなくここでの経験があったから。
人生無駄な事なんて無いと思うし、
どんな経験も糧にしてやるって思えた場所でした。
そんなこんなで何とか3年間働いていましたが、
実務的にはTHE 下積み!
という感じでしたね。
雑用全般こなして、生地の仕込みなんかは指導される事もありましたが
「技術は見て盗め!」
という感じで道具の準備や計量をしながら先輩の動きを観察する日々でした。
3年目になって出来る事も増えてきて、
ほんの少しだけどパティシエとして自信も芽生えて来た頃、
逃げではなく前向きに次の場所に行こうと思えました。
ここの職場ではずっと焼き菓子の製造ばかりしていてお客様と接する機会が少なくて。
元々お菓子を作る事自体が好きというより
作ったお菓子を食べて喜ぶ人の顔が見たい!
が私の原動力だったので
次はもっとお客様の近くにいられる場所、
もっと総合的にお客様の笑顔を作れる場所で働きたいと思い、
カフェ業界への転職を決断しました。
この転職先の会社の理念、色んな人との出会いで
私の人生がより広がっていく事になります。
パティシエ時代の事、
たった3年の出来事だけどめちゃくちゃ濃い時間だったので
言葉で纏めようと思うととても難しく
書いては消してを繰り返して3日も費やしてしまいました(゚∀゚)
書き切れなかった山ほどあるエピソードはいつはどこかで記事にしたいと思います。
さて次回は!
「カフェ時代の彩り溢れる日々〜この転職先が私の天職!〜」
をお送りします♪
お楽しみに( ^∀^)